ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいな人生を

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

料理バカと呼ばないで

先日、バイト中に店長と雑談をしていたところ、会話の流れで僕が昨日晩ごはんにパスタをつくったという話題になった。
料理をまったくせず、三食すべてをカップ麺か外食で済ます関西人の店長は、
「パスタなんて作るのか。すごいな~」
と妙に感心しているのがおかしくて、僕はパスタという食べ物がどれだけ簡単に作れるかを説明しようとした。
「あんなのマジで簡単ですよ。麺を茹でてるあいだにソースを作っとけばいいんですから。一番簡単なのはまずにんにくを…」
意気揚々とペペロンチーノの料理手順を喋りだそうとしたとき、不審そうな顔をした店長が遮った。
「ソース…?お前、ソースを一から作るんか?」
「え?あ、はい、まあ…そうですね」
「ソースなんて、わざわざ作らんでもスーパーで売ってるやん。」
「そうですけど、オイルベースのだったら作るの簡単だし、レトルトよりも安上がりですよ」
すると、店長はにやりと笑って
「お前は料理バカやな」
と言った。
……料理バカ?
予想だにしていなかった言葉に、僕は一瞬固まった。
店長はたぶん、半分皮肉でそう言ったのだろう。スーパーでレトルトのソースを買えば楽なのに、それをわざわざ作るなんて物好きなヤツだなという意味をこめて、料理バカと僕にそう言ったのだと思う。しかし、軽い冗談で言われたにしろ、僕にはやはり、料理バカという響きが自分の境遇にとって一番おこがましい、むしろ畏れ多い言葉に聞こえた。



僕は2年間ほど、ホテルで調理師として働いていた経歴がある。
そのホテルには和食、イタリアン、中華と3つの食事処があった。僕の働いていたイタリアンは、宿泊施設からすこし離れた場所にあったので、席数もそれほど多くなく、形態としてはレストランに近かった。シーフードイタリアンを謳っていただけに、客席からはすぐそばにあるヨットの停泊した船着き場が見渡せ、遠くには海と空の境界が曖昧にまじる水平線が広がっていた。
僕は前菜場と盛りつけを任されていた。
朝、8時か9時に出勤し(もうどっちか忘れてしまった)、仕込みをはじめる。11時くらいに一旦中断し、まかないのパスタを食べて、すこし休憩したあと、また各々の作業場に戻るころ、ランチがはじまる。
お客さんが来ると、僕はすぐさま前菜の盛りつけをする。ランチもディナーもコースだったので、前菜がでなければ次の料理も出せないし、前菜のでる時間が遅れれば遅れるほど、その分ほかの料理のだすタイミングも滞ってしまう。前菜を出し終わってしばらくすると、今度はパスタ場から渡されたパスタの盛りつけをする。2、3人前ならともかく、それ以上になるとフライパンの重量も加わりけっこう重たい。それぞれのお皿に均等に分けていくのにもコツがいる。単に分けるだけでなく、当然見た目もきちんと綺麗に盛り付けなければいけなかった。コースによってはセコンド(肉料理、魚料理など)があり、その盛り付けも担当した。盛りつけが終わると、使い終わったフライパンや加熱用の皿などを洗い、乾いたら元のところへ戻しにいく。これらの作業をこなしつつ、ディナーの仕込みも同時平行でしなければいけなかった。暇な日ならともかく、忙しいと仕込みまで手が回らず、ランチが終わりみんながディナーまでの時間を休憩に使うなか、ひとりキッチンに居残ってせっせっと仕込みをすることも少なくなかった。
ディナーでは仕込みをしないかわりに、盛り付けの作業がランチとは比較にならないほど複雑になり、客数も段違いに増えるので、気を緩めるヒマなどなかった。ディナーが終わるとゴミを焼却炉へ持っていき、キッチンの床やコンロなどを清掃して、それからみんなで軽トラに乗り込んで寮に帰っていくのだが、ぺーぺーである僕はこれで終わらない。どう考えても明日できそうもない仕込みをするために、またキッチンへと舞い戻っていく。作業が終わりホッと一息ついて時計を見ると、いつも0時をまわっていた。外へ出ると、あたりは静かで、さざ波が規則正しくヨットをちゃぷちゃぷと揺らす音しかしない。おだやかな海が月に照らされ、水面にまっすぐな光の道をつくっていた。そんな夜の海を横一直線に貫くようにして、高台にある小さな灯台からは、緑と赤のランプが交互に水平線の向こうへと光の指針を投げかけている。
いつもの帰り道に見るこの光景を、僕は眠い目をこすりながら慰められるような気持ちで眺めていた。



なによりも僕を憂鬱にさせたのは、ディナーの前に食べるまかないを担当することだった。これは料理長、副料理長以外の者がそれぞれ交代で月に5回ほど任せられる仕事だった。
これが本当に大変だった。なにせ、ホール、キッチンの人間あわせて約10名分のまかないを数時間で作らなければいけないからだ。食材を切るだけでもひと苦労だった。たとえば天津飯を作るとなると、ご飯を包む卵を10回焼かなければいけない。餃子となると、ひとり8個だとしても、ぜんぶで80個包まなければいけなかった。まかないは最低でも主菜、副菜、汁物をつくらなければならず、当然おいしくなければいけなかった。料理長と副料理長も食べるのだから失敗は許されない。初めてつくる料理でも確実においしくつくる。その緊張感たるや、ストレスで胃に穴が開きそうだった。もしかしたらちょっとくらいは開いていたかもしれない。
いちど、僕がまかないでカレーを作ったとき、お米がやわらかいという理由で顔に水をぶっかけられたことがある。しかもそれ、僕が炊いたのではなく同期がよかれと思い炊いてくれたお米だったのだ。冤罪でコックコートまで水浸しになった僕は、ディナーが始まる前に外へ出てすぐに目についた発泡スチロールをボコボコに蹴り飛ばして行き場のない怒りをとりあえず発散させた。
しかしそのおかげで、僕の料理スキルは飛躍的にあがった。大抵のものはレシピを見ないでも作れるようになった。といってもそれはやはり平均的な主婦と同じくらいの技術で、内心僕はじぶんの才能のなさに焦っていた。他の人間が3回やればのみこめることを、僕は10回やらなければ追いつけなかった。地力が違いすぎる。悩んでいた。それに疲れてもいた。思考は疲労した身体に引きずられるようにしてどんどんネガティブになっていった。それに、今までじぶんが大切としてきたこと、ずっと考えてきたことが考えられず、絶えずなにかがこの手からこぼれおちていってしまってるような気がしていた。




ある日、たしか僕がなにか業務上の失敗をやらかして、それに対してたしなめる程度に注意をした関西人の副料理長が最後にこう言った。

「お前もこの道でずっと食べていこう思うんなら、もうちょっとしっかりせえよ」

この道でずっと食べていく。僕は頭のなかで副料理長の言葉を反芻し、その意味を考えた。
すると、目の前が真っ暗になった。あのとき感じた圧倒的な恐怖は今でも鮮明に思い出せる。この道でずっと食べていくということは、この道でずっと生きていくということだ。この先ずっと、死ぬまで料理人として生きていく。僕はそんな自身の姿を想像することができなかった。5年後、10年後、20年、30年……真っ暗だった。なにひとつ見えなかった。一筋の希望さえもなかった。それは違うところにあったのだ。



そして僕は料理人をやめた。諦めるよりほかなかった。料理自体は嫌いではない。しかしそれ以来、僕は料理に対して一種のコンプレックスを感じている。じぶんの作った料理を誰かが「おいしい」と言ってくれるたび、嬉しいと同時にどこか後ろめたさを感じる。「料理得意だよね」と言われるたび、違和感が胸をざわつかせる。そんなことない、と誰かの声が僕を必ずたしなめる。


店長に料理バカと言われたとき、同じ関西人である副料理長の言葉を連想したのは偶然ではなかった。料理バカだなんて、たとえ冗談でも僕にはふさわしくない。喉からでかかったけれど、抑えた。相手にとってこれは冗談なんだから、明日になったら忘れ去られるなんの意味もない会話のひとつなんだから、と言い聞かせて。


最近、料理のレパートリーを増やそうと思い立って、ネットで調べておいしそうなレシピを試している。生業としてではなく生活としての料理では、緊張感がないせいかたまに失敗したりもする。
それでいいと思う一方で、それがなんだか、すこし悲しいときもある。

雨上がりと戯れた日のこと

朝にはもうすでに降っていて、夕方ころになってようやくやんだ雨の余韻がまだあたりをさまよっているらしく、鼻から息を吸うと、空気といっしょに入り込んできた極小の水の粒が鼻腔にひっつく感じがして、それはかすかに甘く、湿っぽいせいか、ひとを意味もなく感傷的にさせる匂いがした。はるか上空から地上へ叩きつけられ、雨音と呼ばれる小気味いい騒音をたてながら 弾けて四散した無数の滴が、今は夜の帳のなかで路面を濡らし、下水道を流れ、やがて海へと至る、雨という名前を失い、水という名前を得た彼らをよそに、道の真ん中にできた水たまりを僕は跨いだ。
アパートへ帰るところだった。くたびれた仕事着のまま、いつもと同じ順路を通り、いつものように急いでいるわけでもないのに革靴の踵をカツカツ威勢よく響かせながら早足で歩いていた。
時刻も遅いせいかまばらに店のシャッターが降りている商店街を抜けて、陸橋を渡り、もうすぐアパートの近くであるという目印のなだらかな下り坂にさしかかると、その先で、高架線に沿って等間隔で並んでいる外灯に照らされた雨の余韻ーー霧のようにたゆたう水の微粒子が、プラチナのような白っぽい輝きできらめいていた。
霧のように、というか、これは霧と呼ぶべき現象なのだろうか。霧にしては密度が薄い気がする。視界を遮るほどではなく、かといって先を見通すのにけっして邪魔じゃないわけでもなく、海中に漂うプランクトンのように目前に迫るときになってはじめて姿をあらわす、微細でかよわいこの自然現象に、果たして名前はあるのだろうか。雨から生まれたプラチナ色のプランクトンは、春の夜の生ぬるい大気のなかをゆったりと泳いでいるようにも、あってないような微風にただ身を任せているだけのようにも見えて、その様子はどこか現実ばなれしていたし、なぜか笑うことしかできない滑稽な悲しさがあった。でもその悲しさはもしかしたら、ただ僕が意味もなく感傷的になっているせいなのかもしれなかった。しかし、もしそうだとしても、感傷的になった理由は鼻腔にひっついてきた彼らの匂いに原因があるので、やはりさっき感じた悲しさは、彼らとなにかしらの繋がりがあるということになるのだろう。そしてそれはあくまで主観的な、自分自身でさえ窺いしれない僕の記憶の奥底で繋がっているなにかとなにかのことなんだろう。
水の粒が漂う夜道を僕は突っ切っていく。肌をさらしている部分ーー頬や手の産毛に、極小の水の粒が付着する、ほとんど錯覚ともいえるような感触がした。このままずっとどこまでも歩いていったら、水の粒はどんどん体にくっつき集まって水滴になり、水滴がしだいに量を増すと僕を包みこみはじめ、やがて小さなプールのような箱形の水の集合体ができあがって、そのなかで僕は溺死する。不本意な自殺。そんな馬鹿な。けれどやはり、体の周囲にまとわりつく水の粒は、湿気と呼んでしまったほうがふさわしいのかもしれないほど、おとなしいとるに足らない存在だった。
意味のない感傷は、意味がないだけにどうすることもできず、なかなか消えてくれなかった。感傷に煽られた焦りだけが増していく。僕は堪えきれず記憶を探る。あてのない旅だった。時間軸の風化した断片的な映像が次々にフラッシュバックして、さまざまな感情がよみがえり、けれどそのさまざまな感情は遠い国の喧騒のようで、かつてはじぶんのものだったはずなのに、今ではひどく他人事に思えた。身に迫る謎の焦燥感だけが、現在の僕だけが持つ唯一の感情であり、リアルだった。僕の内面に呼応するように歩調がひとりでに速くなる。目の前を歩いていたカップルを追い越し、革靴はカツカツと威勢よく濡れたアスファルトを踏み鳴らす。カップルは楽しそうにほほえみながら手を繋ぎ、なにかふたりだけにしか分からない暗号のような会話をしていた。「好き」だとか「愛してる」というわかりやすい言葉ではなく、限りなく遠い地点から愛を確かめ合い育んでいる彼らの他愛のない会話は、ときとして亀裂や最期を生むきっかけにもなることを、ふたりは知っているのだろうか?僕はもう一度、鼻から息を吸う。かすかに甘く、湿っぽい雨上がりの匂いが全身に行き渡り、五感を弛緩させる一種の陶酔感で体が溶けそうになる。けっきょく、この匂いが好きなんだと、僕は思い、笑った。笑ったあとで、誰かに見られてはいないかとあたりを見回したけれど、誰もいなかった。追い越したカップルもどこかの道を曲がったらしい。
安心して、口笛でも吹いてやろうかと唇を尖らしたけれど、そういえば吹けないことを思い出して、かわりに鼻唄でガマンした。



いつの間にかアパートはもうすぐそこにあった。僕は考えるのをやめて、コンビニに寄り、お菓子を大量に買って、パンパンに膨らんだビニール袋を左手に提げたまま、埃っぽい部屋へと帰っていった。

ブログはじめました。


何十万という人びとが、あるちっぽけな場所に寄り集まって、自分たちがひしめきあっている土地を醜いものにしようとどんなに骨を折ってみても、その土地に何ひとつ育たぬようにとどんな石を敷きつめてみても、芽をふく草をどんなに摘みとってみても、石炭や石油の煙でどんなにそれをいぶしてみても、いや、どんなに木の枝を払って獣や小鳥たちを追い払ってみてもーー春は都会のなかでさえやっぱり春であった。




……ということで、トルストイ「復活」の冒頭の引用からはじめてみました。
もうすっかり春めいてきましたね。
と書くつもりだったのに、今日は雨が降っているせいかすごく寒い。
まあ、気温のちょっとした変動や雨が頻繁に降るのも季節の変わり目にはよくあることなので、大きな流れで見ればやっぱり、春めいてきているといえば春めいてきているんでしょう。
駅前のバスロータリーに1本だけ生えている桜も花をすでに満開にさせていて、すごく綺麗だった。けれどこの桜は一般的な薄いピンクではなくて、さくらでんぶのような濃いピンクをしているので、もしかしたら梅か、それとも春の気配をいち早く察知した駅員が誰もいない時間を見計らって、厚紙でつくった花びらをせっせと枝のまわりに貼っていったのかもしれない。と思うほど、絵に描いたような綺麗な咲き方をしていた。



ここには、とりあえず、小説や映画の感想、日々の出来事とフィクションなんかをなんとなく不定期で書いていくつもりです。意外と寂しがり屋なので、感想も気軽にしてやってください。よろしくどうぞ。
では、また。