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いつかの私というフィクション

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

ファンではあることには間違いない。


今週の月曜日に「君の名は。」を観てきた。
祝日だということをすっかり忘れていたというか知らなくて、どうせ大丈夫だろうけど念のためと前日に空席状況を確認してみたらナイトシアター以外は1、2席しか空いてなくてびっくりした。
これは当日に直接チケットカウンターで買うのは厳しいなと思い、生まれて初めてネットで予約した。昔はクレジット払いだけだったから敬遠していたけど、今はケータイ払いができるようになっていてわりと簡単に予約ができた。映画のチケットを事前に買っておくなんて、なんだかできる大人っぽくてドキドキした。



7時ころに起きて準備をし、新宿へ。
天気は良くなくて、ときおりぱらぱらと小雨が降った。
映画館に到着すると、館内は人で溢れかえっていた。どこもかしこも行列。チケットを発券するのにもすこし時間がかかった。上映が開始するギリギリの時間に来たので、いつもなら必ず買うポップコーンセットを諦めなければいけなかった。平日だったら絶対に買えていたはずなのに、なぜ今日が祝日なのかと、エスカレーターに乗りシアタールームへ向かう間ずっと周囲の人間たちを呪っていた。お前ら全員末代まで呪ってやる!ていうかお前らが末代だくそ野郎!的な。そんなに嫌なら別の日にすればいいのにと自分でも思うのだが、なにがなんでもこの日に観たいという欲求はどうしても抑えきれなかった。





*ここからはネタバレを含むかもしれないのでご注意を





これまで、新海誠は一貫したテーマに対して真面目に臨んでいた。人と人とが理解しあえないもどかしさ、なにかを誰かを忘れていくことへの葛藤、移りゆく時間のさびしさやむなしさ、どうしても埋められない孤独感。そんな文学的(僕はこのフレーズが嫌いなのだけれど、ここではあえて使わせてもらう)なテーマを彼は取り扱ってきたように思う。僕はそういった感傷的で、語弊があるかもしれないけどすこし女々しくてナヨナヨした
テーマに批判的な人間ではないし、むしろ表現の仕方次第では好きなほうだし、新海誠の作品にはすごく好感を持っているほうだ。
ただ、そのテーマに対して真面目すぎるところがあって、全体として物語がずっとはりつめている印象があり、緊張ばかりで弛緩するところがなく、観ていて映像はすごく繊細で抒情的だし面白いには面白いんだけど、無駄に肩が凝るなあという感じがこれまでの作品にはあった。



今回の「君の名は。」は、その欠点が見事に払拭されていたと思う。これまでの作品にはなかったくすりと笑えるコミカルな要素があって(特に三葉のおっぱいのシーン)、物語に良い意味での隙ができたおかげで緩急ができて、シリアスなシーンがこれまで以上のシリアスさと切実さが引き立つようになっていた。


はじめの入れ替わりの見せ方もうまかった。人格が入れ替わるといういくぶん使い古されたモチーフを、普段のふたりと入れ替わったふたりを、たとえば、いつもの三葉→いつもの滝→入れ替わった三葉→入れ替わった滝と、交互に描くのではなく、冒頭で入れ替わった三葉からすぐに、いつもの三葉→入れ替わった滝→いつもの滝→入れ替わった三葉と、若干変則的描いていく進め方は、ふたりはいつ気付くんだろうとすこしじらされている感じがしておもしろかった。


後半もすごかった。まったく予想していない展開だったし、でも新海誠らしいといえば新海誠らしいなあと頷ける展開で、ふたりがはじめて出会う場面の黄昏時の映像の美しさといったら、もう。そして村のみんなを助けるために走っていく三葉といったら、もう。そしてティアマト彗星の神秘的ですこし恐ろしさも感じる映像の美しさといったら、もう。ていうか本当に綺麗だよなぁ、新海誠の作品って……。



しかし、唯一、いや、細かいところを挙げていけばキリがないのだけど、唯一!ここはなんでこんな風にしちゃったんだよマジでってところがあった。ここがちゃんとしていれば、僕は後半ずっと泣いていただろう。それこそ隣に座っていた30代後半くらいの女性を余裕でヒカせるくらいには泣いていただろう。けれど僕は泣かなかった。年をとったのと最近いろいろありすぎて情緒不安定で涙もろくなった僕がそのシーンのせいで泣けなかったのだ。別に泣きたかったわけではないけど、ある種のカタルシスがなかったというのは、けっこうキツイ。




その問題のシーン、それは、ふたりが入れ替わったことに気付いて、ふたりで入れ替わったときのルールを決めて、だけどうまく噛み合わなくて喧嘩をするという場面。


なぜここをハイライトした……?


いや、喧嘩をするところまではハイライトでもまあ許せる。だけど、そのあとだ。
入れ替わった生活がテンポ良くハイライトで流れ、自分の生活を乱された相手を罵っところで、次に先輩とのデートのエピソードが入り、そして別れ際に先輩が「たぶん、はじめは私のことが好きだったよね。でもいまは、ほかに好きなひとができた、ちがう?」と言う。


は?と僕はきょとんとしてしまった。
自分の私生活を乱しまくった「だけ」の相手を好きになるか、普通。
相手の生活を知って、尊敬ってほどではないにしろなにか見直すところがあったり、なにかをきっかけにして意気投合したりしたエピソードなり場面があったなら話は別だ。それなら先輩の言った発言も素直に捉えられただろう。でもそんなふたりが仲良くなる過程は一切描かれていないし、入れ替わったことに気付く前と後で、ふたりの距離感が変化したかどうかと言われると、してないんじゃないか、と僕は思ってしまう。
顔にマジックでバカとかアホとか書くくらいにうっとおしい存在の相手を、仲の良い友達としてならともかく(それにさえ無理があると僕は思う)、果たして必死に追い求めるほど好きになれるものなのだろうか。喧嘩するほど仲が良いなんてことわざは、この場合には当てはまらないだろう。仲の良い人間同士がいつも喧嘩をしてるわけではないのだから。けれどふたりは入れ替わるたびに、相手の振る舞いに不満を持って喧嘩をする「だけ」の場面しかなかった。そんな相手を果たして好きになるだろうか?
だから僕はここらへんからおいてけぼりをくらい、後半でまったく泣けなかった。
もともとふたりは惹かれあう運命だったんですよ……とか根拠のない暴論を吐かれたらもうそこで試合終了なわけだけど、たしかにふたりがお互いを好きになったのに理由はなくてもいいのかもしれない。誰かを好きになるということに理由なんていらない。でも、あれだけちゃんと綿密につくられた物語なのに、肝心のふたりがおたがいのなにかに惹かれるシーンがないというのはいかがなものか。
まあ、でも本当におもしろかった。RADWIMPSの曲も最高だったし。絶対アルバム買うわこれ。




上映が終わり、僕はトイレへ駆け込んだ。ポップコーンセットを買わなかったのでいつもほどの尿意を感じてはいなかったけれど、それでもやはり出したいものは出したかった。
映画を一本観終わった疲れとあいまって一抹の虚脱感とともに小便をしていると、となりで同じく小便をしようとしている少年が「マジかよ…マジかよ…」とつぶやきはじめた。
そのただならぬ声に、なにごとかと少年の視線を追ってみると、彼のジーンズの裾からなにかの水滴がぽたぽたと垂れていて、靴はちょっとした水たまりに浸っていた。どうやら、寸前ところで我慢の限界がきてしまったらしい。マジかよ…と僕が頭のなかでつぶやいている間にも、彼は焦りと絶望のいりまじる声で「マジかよ…マジかよ…」と祈るように連呼していた。
どうするんだろうと思って、でもあんまりじろじろ見るのも可哀想だから横目でうっすら見守っていると、こういうとき人間というのは語彙が少なくなるものなのだろう、少年はまだずっと「マジかよ…マジかよ…」とつぶやきながら、とりあえずどうすることもできないからトイレを出て、そして立ち止まり、そして、「あー、マジかよ…」と言った。
もうちょっと見ていたかったけど、人混みにいると気持ち悪くなる体質なので僕は絶望しきった少年を置いて映画館をでた。