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いつかの私というフィクション

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

「外套」や「鼻」を書いたロシアの小説家といえば誰?

また台風が来るらしい。
前回の台風のときはバイト終わりがちょうど雨が激しく降っている時間帯で、傘をさしていたにも関わらず腕や靴やスボンの裾なんかがびしょ濡れになった記憶がある。台風が過ぎ去ったあと、てっきり晴れると思っていた翌朝はどんよりと曇っていて、また雨が降り、それから数日間はそんな天気が続いて、台風一過なんてまるでなかったので雨の好きな僕でもさすがに憂鬱になった。今回はどうなるんだろうか。





ゴーゴリの「死せる魂」の新訳が最近になって河出書房から出版された。
「死せる魂」は長らく絶版だったので、読みたくてもなかなか手に入らなくて困っていた小説のひとつだった。だからこの新訳の発売には本当に嬉しかった。



おとといの夕方ころにアパートを出て、近くの本屋へ向かった。お目当てはもちろん「死せる魂」と、あとこの前のNHKでやっていた漫勉で知った三宅乱丈の「イムリ」という漫画も買うつもりだった。
三宅乱丈という漫画家の存在は漫勉を見るまでまったく知らなくて、なぜこんなじぶん好みの漫画を描くひとを知らなかったのかと、悔しいというかなんというか、本当に、この世は知らないことだらけだなあということを痛切に感じた。





一軒目の本屋にはどちらも置いていなかった。
この店は半年前くらいに潰れた本屋の跡地にまた別の本屋が入ったところで、客の僕にとっては、ただ店の名前が変わっただけで品揃えも内装もほぼなにも変わっていないのでこの店もまた潰れるんだろうなと思っているのだけど、前の店と唯一違うところは、店頭でなんとなくオシャレ感のある観葉植物なんかを売っているところだろう。
久しぶりに行って僕はびっくりしてしまった。一瞬、ここ何屋だよと考えてしまうくらい、観葉植物の置かれているスペースは広かった。そのかわりに新刊の置かれているスペースが狭くなっていて、なんか、もう、本当にここは何屋だよと呆れてしまった。観葉植物が店頭を飾り、本が隅に押しやられている本屋。当然ながらそんな本屋なのか花屋なのかもわからない店に「死せる魂」が売ってるわけもなく、「イムリ」もなかったので二軒目へ。





二軒目にもどちらも置いていなかった。
あまり来ることがない店なので、海外文学の棚がどこにあるかもよくわからず探すのも面倒なので店員に聞いて検索してもらった。
「すみません。ゴーゴリの死せる魂ってありますか?」
すると、なかなか検索結果がでてこない。すこしイライラしながら待っていると店員が「タイトルはこれで本当にあってます?」と聞かれたので、滑舌の悪い僕はもしかしたら聞き間違いされてるのかなと思いつつ見たパソコンの画面に、愕然とした。
店員はタイトルの項目にゴーゴリと打っていたのだ!
嘘だろ!!?ゴーゴリ知らないの!!?
僕は思わず叫びそうになった。読んだことなくても名前くらいは知ってるだろ!!?本に関心のないひとならともかく、一応、本を売ることに携わっている人間がゴーゴリの名前すら知らないなんて!!それともおかしいのは僕なのか?ゴーゴリの名前すら知らないなんておかしいという僕のほうがおかしいのか?ていうかタイトルにゴーゴリを入力したってことは、死せる魂はどこに入力するつもりだったんだ?作者か?シセル・タマシィーっていう外国の作者だとでも思ったのか?誰だよそいつ。すこし面白そうな小説書きそうな名前じゃねえかシセル・タマシィー。
店員は30代後半くらいの女性で、冴えないメガネをかけていかにも文系な雰囲気を漂わせているくせに、ゴーゴリを知らない。そのメガネをかち割ってやりたかった。





ショックを受けつつ、三軒目へ。
ここになかったら諦めて新宿の紀伊国屋書店にいこうと思っていたら、1冊だけ置いてあって、見つけた瞬間僕はその場に崩れ落ちそうになった。
なんとか無事に「死せる魂」を手に入れ、「イムリ」はBOOK・OFFで買った。
アパートに帰り、早速読もうと死せる魂を袋からだして手に取ると、帯を金井美恵子が書いていて、そこにはこんなことが書かれていた。




私たちは小説に対して、どうしてこうも簡単に健忘症兼忘恩の徒になれるのか?


持家政策という国策のせいで、壁面を飾るべく、知的で見栄えのする家具の一種として、各出版社がこぞって「世界文学全集」を出版し、家長や主婦たちが競って買い求めた時代には、「魅せられた魂」も「死せる魂」も区別はつける必要はなかったものの(!)、ゴーゴリの名くらいは知っていた。第一、ゴーゴリを読んで、小説を書いた作家だって存在(多くはないけれど)したのだった。
時は過ぎ、世界文学としてのロシアと言えば、眼にするのはドストエフスキーのみという乏しい時代の読書上の貧しき人々の時代が続いた。(以下略)



ここに書かれている、読書上の貧しき人々の時代というものを(ちなみにドストエフスキーの小説のひとつに『貧しき人々』というタイトルの小説がある。魅せられた魂の作者はたしかロマン・ロランだったはず)身をもって体験した僕は、この金井美恵子の言葉を噛み締めながらしばらく呆然としてしまった。


また未知の小説が読めるのはすごく嬉しい。




では、また。