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いつかの私というフィクション

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

覚え書。

 

 

 

 

 

メモ。

 

 

いつかの幸福が現在を苦しめるなんてこと知っていたらきっともっと楽なほうを選んでた。なくなる幸福なんていらなかった。幻想に生きてずっと憧れを抱いたまま死んでいけばよかった。死んでいきたかった。もっとちゃんと嘘をついてほしかった。と友人が言う。巨きな栗の樹の下で。手をつなぐふり。キスをせがむふり。大好きなふり。誰も真実になんて興味ない。誰かではなく、あなたの最愛のひとになりたかった。「あゝ、お前はいったいなにをしてきたのだ」と、吹き来る風が私に言う。汚れちまった悲しみに。ゆやーんゆよーん。錆びたブランコが揺れる音。西陽の差し込む時刻にいつも死にたくなるのはなぜ?未来とは希望のことだ。希望とはなにかを愛することだ。なにかを愛することは、なにかを愛せることは幸福だ。幸せになりたかった。ただ幸せになりたいだけだった。あなたとわたし。巨きな栗の樹の下で。と、友人が言う。あの日僕は小さなサインを見逃し続けた。夢も希望も消え失せた。うたかたの日々。虎になって月に吠える。青い車に乗って荒野を行く。ありきたりな景色が待っているとしても。迎えてくれるひとがそこにいなくても。あの街がまるごと幻だったとしても。いつかあのときは悲惨だったと笑いあえるように。と友人が言う。たまには未来の話をしよう。タイムマシンに酔って。明るい未来の話。まだ誰のものでもない僕らだけの未来。未来とは希望のことだ。たとえそれが人生のつく嘘や勘違いだったとしても。あるだけマシさ。明けない夜があることを願って。バイバイ。さよなら。またね。

 

 

 

 

 

 

 

「たとえば、そうだな、君は数年前の自分が今の自分とまったく同じ人間だと思うかい?そういうこと考えたことある?ないなら考えてみて。あるならそのとき出した答えを教えてほしい。ぼく?ぼくはどう思うかって?それがわからないから君に聞いてるんだ。細胞はある一定の周期で完全に入れ替わるというけど、最近の科学で細胞のひとつひとつにそれまでの記憶がインプットされていることがわかったらしいし、かといってじゃあ記憶がその人をその人たらしめている決定的な要因かと言われれば疑問だし、たとえば外見は年を取れば当然変わっていくよね。皺が増えたり、頬がたるんだり、ハゲたり、痩せたり逆に太ったり。でもそれは身体の変化であって、自分が自分でなくなったことにはならないような気がするんだ。ただね、時間の連続性ってやつのせいで僕らは生まれてから死ぬまでずっと存在している気になっているけど、本当は僕らは過去の僕らを絶えず殺しながら存在しているんじゃないかってときどき思うんだ。殺すなんて物騒な言葉を使っちゃったけど、どちらかといえば書き換えるって感じかな。更新する、過去の自分に今の自分を上書き保存するって比喩が一番しっくりくるかも。上書き保存だなんて表現いかにも現代人っぽいよね。過去の自分に今の自分をセーブしていく。保存先は変わらないけどデータはその都度減ったり増えたりして。だとしたら数年前の自分はまったく同じ人間だと言えるだろうか?昔のデータを引き継いでいるとはいえ、容量や内容が少しだとしても確実に変わってはいるのに?いや、わかってるよ。これは比喩だ。比喩だからこそこれはぼくが求める答えにはならないし、そもそもデータなんて言葉は曖昧すぎる。それにこの考えにはひとつ問題がある。魂だ。この考えは唯物論的すぎて魂の概念が欠けてる。魂なんて今のご時世に前時代的かもしれないね。人類が創り出した最もロマン溢れるフィクションなのかもしれない。でもこいつは無視できないよ。理性とか感情とかの次元ではなくて、誰かが死んだとき、身体はそこにあるのに、ただ眠っているようにも見えるのに、そこにあったなにかがたしかに失われた感覚というものを、ぼくは無視できないんだ。もし魂があるんだとしたら、魂がぼくをぼくたらしめているのなら。でも、これもひとつの比喩にすぎないのかもしれないね…やっぱりぼくにはわからないよ。それで、君はなにか答えはでた?」