いつかの私だったあなたへ

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

2月くらいの日記

 

 

暖かくなってきた。1月に味わった一日中肌を刺すような寒さも緩んで、朝と夜以外はほのぼのした陽気になってきた。

小春日和という言葉が好きだ。『春』という文字が入っているのに冬の季語なのがいいし、小春日和から連想される、暖かい光が溢れるなかで風のない日の雲のようにゆっくりと時間が流れている雰囲気がいい。

 

 

姉が妊娠した。

つわりがかなりひどい体質で、慢性的に吐き気がして食欲がなく、無理して食べてもすぐに吐いてしまうらしく、毎日点滴を打っていても状態はよくならないので1週間ほど入院した。もうすぐ4歳になる姪がまだお腹にいたときよりひどいと母は心配している。

姉がそんな状態なので、毎週末になると姪が家にやって来る。主に父と母が姪の面倒を見るけれど、ふたりが疲れているときは僕がその役をやったりしている、といいたいところだけど、僕は気が向いたら遊んであげる程度ですぐに疲れてしまい、あとはほとんど彼女がトイレに連れていったり、一緒に塗り絵をしたりと面倒をみてくれている。彼女には頭があがらない。自分にはもったいないくらいいい彼女だ。しっかりしなければと、彼女の姿を見ていると思う。

そもそも姉は子供をまた産む気はなかった。理由は知らないけど、今の状態を見ればなんとなくわかる。

産む気になったのは、父方の祖母の20周忌へ行ったときだと、姉は言っていた。

 

 

高速で3時間ほどかけて父の地元へ行った。昔は一度下道を通らなければいけなくてもっとかかったと母は言っていた。姉は小さい頃、友達に8時間かかると言ったらしいけど、そんなに長くはなかったと両親は笑っていた。子どもの時間は大人よりゆっくりと進む。することのない車内ではなおさらだ。姪も小さい頃の姉と同じように感じているのかと、ふと思った。高速を下りてそのままお寺へ向かった。姪を見るなり「姉にそっくりだねえ!」と叔父と叔母は驚いていた。「姉が小さくなって戻ってきみたい」叔母は目を見開いて姪を眺めていた。「お前もはやく結婚しなきゃな」と叔父は僕に親戚のおじさんそのままのことを言った。

葬儀が終わると次は墓地へ向かった。墓に水をかけるとき姉は隣の墓にかけてしまい、あわてて祖父母の眠るほうのお墓に水をかけた。きっとふたりは笑っているだろうと想像すると、僕はおかしく思い、そのあとすこし悲しくなった。

叔父の家へ行き、仏壇に線香をあげた。母や姉がリビングへ戻るなか、父だけが少しの間、遺影をじっと眺めていた。後ろ姿の父がどんな顔をしていたのか僕にはわからない。なんとなく見ないほうがいい、声をかけないほうがいいと、黙って父の背中を見ていた。

ピザやお寿司を食べながらみんなで雑談をした。話を聞きながら食べたピザやお寿司はどれも美味しくて、チェーン店でも地方によって味が違うのかと思うくらいだった。父と叔父はお互いを馬鹿にしあいながらも楽しそうに笑っていた。叔父の家を出るときに運転を父から僕には交代した。

旅館に着くと、早速温泉に入った。僕以外誰もいなかったのでゆっくり浸かれた。ロビーで彼女と電話をしたあと部屋に戻るといつのまにか寝ていた。起きるとすでに食事の準備ができていて、寝ぼけながら口に入れた牛肉のあまりの美味さに眠気が吹っ飛んだ。

夜は早めに就寝して、朝早く出発した。

長島スパーランドへ行き、僕はアウトレットへ、他のみんなはアンパンマンミュージアムへ向かった。

前日の父の運転があまりにも怖かったので、その日の運転は僕の役目だった。姪が乗っているというだけでハンドルを持つ手に力が入った。

無事に帰路につき、コタツに入りながらアンパンマンミュージアムで撮った写真を見せてもらうと、父がすごい変な顔で写っていて、それだけで30分くらいは笑っていた。父曰くそれは作り笑顔をしたらしい表情は、どう見てもすごく酸っぱい梅干しを食べている顔にしか見えなかった。「それ、新しい家に持ってけば?魔除けになるんじゃない?」僕がそう言うと姉はまた笑い転げていた。姪はコタツの周りをぐるぐる走り回っていた。

 

 

「なんであのときあんたたちを誘ったのか、今思うと不思議なのよねえ」

姉の妊娠がわかったとき、母がそう言った。

「いつもはお父さんとふたりで行ってたし、今回もそのつもりだったんだけど、いざ行くってなったとき、なんでかあんたたちも誘おうかなって思ったんだよねえ。お父さんも反対しなかったし。相談したらたぶん、別に俺たちだけでいいじゃねえか、って言われると思ったのに」

もうすぐ姉夫婦の家が完成する。そうしたらもう姪は家に来たがらなくなるかもねえ。とそれから母は心配そうに言った。