ハッピーじゃないエンドでも面白い映画みたいな人生を

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

望まれる太陽

 

12月。寒い。外にいると手足が岩のように硬まり、全身が震えはじめる。歯がカチカチ鳴り、肩が上下に細かく揺れる。なんでもない日常のなかでも身体は生きるためにささいな活動を行なっている。何十年と繰り返され馴れきったこの行為は、ふだん意識すらしないせいかどこか他人事のように思える。私は私の身体を制御しているつもりでも、身体は私の知らないところでひっそりと自律している。

 

 

暗い日々が続いている。精神的にではなく、太陽が顔を出す時間が少ない。朝、目覚めると草花の模様が描かれている黄緑色のカーテンがくすんでいる。外に出ても、太陽は雲に隠れている。会社に着く頃に陽射しが車の窓を照らして、ようやく1日がはじまったような気がする。社内では陽に当たる機会はほとんどない。現場の窓から斜めに差しこむ薄く濁った光の空間を、無数の埃がプランクトンのようにふわふわ漂っている。休憩では陽を浴びてまどろむ時間はなく、中途半端に暖まった身体は現場に降りれば急速に冷えていく。

太陽が顔をださない日もある。どんより曇った空の下、車を走らせ、駐車場から工場へと肌を刺す凍えた空気のなかを歩く。休憩室の窓からは、高架線や遠くに見えるビルの上まで一面雲に覆われた景色ばかり。仕事が終わり外に出ると、辺りはもう夜になっている。

そんな日々のなかで、少しだけ陽の光を拝めるときがたまにある。出勤するため外に出ると厚い雲の隙間から淡い光がこぼれ、朝の空気がやわらかく感じる。お昼になると雲はなくなり、窓からの景色は光で満たされる。冬特有の白く透き通った青空がまぶしい。私はいつか見た軒先で日向ぼっこをしていた猫のことを思う。仕事が終わればやはり辺りは夜になっているけれど、それをすんなりと受け入れることができた。