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いつかの私というフィクション

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

I want to 初夏!


今日は最高にいい天気だった。空には雲ひとつなく、涼しげに流れる清らかな小川のように澄んだ青色が広がっていた。中天にさしかかった太陽の光を遮るものはなにもなく、どこに目を向けても眩しかった。澄んだ青空を背景に建ち並ぶビルも、車も歩行者もまばらなアスファルトも、陸橋のフェンスも、すごいスピードで通過していく快速の電車も、少年の被る赤い帽子も、新緑に萌える木々も、花壇に咲く花も、少女の着ている白のワンピースも、電信柱も、看板も、信号機も、なにもかもが眩しい陽の光に包まれて鮮明な色と輪郭で縁どられていた。風が強かったけれど、歩くとすこし汗ばんでくる今日の気温にはむしろ心地よかった。生ぬるいけれど、爽やかな風だった。
絶好のお出かけ日和だ。
駅前はGWだからか、閑散としていて静かだった。それが僕の心を妙にウキウキさせた。このままバイトへは行かずに、電車に乗ってどこか大きな公園にでも行ってしまおうかという誘惑がすこし向こうのほうから手招きしていた。けれどすんでのところで踏みとどまってしまった。つい先日、風邪をひいてバイトを休んでいなければ、きっと迷わずにそうしていたのに。理性のバカ。こういうときに休めないで、いったいなんのためのフリーターなのだろうか。
それにしても、最高にいい天気だった。絶好のお出かけ日和でもあり、死ぬには最高の日だとも思った。生命が躍動しはじめる季節に、人知れずただ穏やかに死ねたらどんなに気持ちがいいだろう。どうせ死ぬなら初夏がいい。季節に不似合いな死。でもやっぱり冬に死ぬよりは断然いいだろう。殺伐とした空気のなかで震えて死ぬ季節より、春ののんびりした雰囲気をひきづったまま、生命が一番やかましく躍り狂う夏の兆しをぼんやりと感じられる初夏という季節に死ねたら。でもそれは、僕の生まれた日がこの季節と重なっているからなのだろうか。
人知れずに死ぬことができたら。きっとそれは死んだことにならない。僕の死を知らないみんなのなかで僕はまだこの世のどこかで生きているということになり、ふとした瞬間に思い出すかもしれない僕のことも、それは死者に対して抱く変に整理された記憶とは違い、僕が生きている前提で思い出される生々しい記憶なのだと思う。それはもう、僕にとっては死んでいながらも生きているってこととほぼ同じだ。そんなロマンチックでリアリティのある現象って、ほかにあるだろうか?
けっこうあったりするんだなこれが。
べつに僕は死にたいわけではない。むしろ人一倍死ぬのが怖い。夜眠れなくなるほど怖いときもある。でも死ぬ。ひとはいつか必ず死ぬんだ。そんな当たり前のことを当たり前に思えない人がこの世には信じられないほど多すぎる。だから、僕は死にたいわけではない。どうせ死ぬなら、死ななければいけないなら初夏がいい。今日みたいな最高にいい天気な日を命日にしたいだけ。



生まれたばかりでつるりと艶のある先までピンと張った葉の葉脈を透かしながらこぼれ落ちてくる木漏れ日を浴びながら、ゆっくりとだらだら散歩をしたい。子供たちの戯れる声を聞きながら、恋人たちの秘密のささやき声に耳をそばたてながら、ベンチに座り、湖面をキラキラと踊る光の粒を眺めて、よく冷えたオレンジジュースを飲んでいたい。過去にあったさまざまな記憶を掘り返して、笑ったり泣いたりしたことを思い起こしながら、漠然とした未来にも目を向けつつ、ずっと考えていること、死ぬこととか、生きることとか、愛とか、信仰とか、悪とか、正義とか、欲望とか、友情とか、世界のこととかを考えながら、なにかおいしいものを食べて、お腹を満足するまで満たしたい。
もっと生きていたい。もっと生きて、まだまだこの世界の美しさを噛みしめていたい。