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いつかの私というフィクション

あまりに個人的すぎて、下痢のような文章を垂れ流します。

帰ってきたウルトラマン

新幹線が東へと向かうにつれて、雲は厚くなり色も黒ずんで窓の外は見るからに不穏な空気をはらんでいた。
新富士駅に到着したあたりで窓に水滴がひとつふたつとつきはじめて、新幹線が加速するにつれ、いくつかは不格好な線を残しながら、またその他のいくつかはおたまじゃくしのように横へ横へとずれていき、やがて本降りの場所に突入すると、水滴はなくなり薄い水の膜が窓を覆った。



楽しい1週間だった。
帰省する前日に神奈川に住む友人の家に泊まったのもあってか、いつもより日程が長く感じた。けれどバイト先とアパートを往復する東京での日常よりは短く感じて、なんだか変な気分でこれを書いている。
生まれ育った土地に帰ることがしだいに"非日常"化していくのを、年をとるごとに強く感じる。好き勝手にふらふら生きているどら息子の僕に対して、両親は文句ひとつ言わず協力的で関係も良好だし、数少ない友人たちは昔と変わらない態度で歓迎してくれる。それでも、僕がそこにいなかったという空白の時間がそのあいだに横たわっているのを、やはり感じずにはいられない。これは決してネガティブな感情ではなく、地元を離れて暮らしている人間なら誰もが抱くものなのだと思う。空白の時間は、家の近くにあったはずのローソンがつぶれてコンビニ特有の四角い建物だけが残っていたり、もうすぐ60歳になる父親ムエタイをはじめたり、友人がおいしい油そばを出す知らない店につれていってくれたりすることからも感じる。ときおりもどかしくもあるけれど、それをすこし楽しんでいる自分もいる。



どうせだったら地元で過ごした1週間をここにコト細かく具体的に書いてみようかと思ったけれど、めんどくさいのでやめておく。


雲に切れ間ができはじめて、よくある田舎の風景に鈍い光が差した。それでも雲は厚く、黒ずんでいる。雨は降っていない。



地元で読む用に何冊かの本をけっこう悩みながら選んで持っていたのに、けっきょく実家にあった柴崎友香の「寝ても覚めても」を読んでいた。帰る前夜に読み終わって、興奮してなかなか眠れなかった。前半はめちゃくちゃ面白かったのに、後半の尻すぼみ感がもったいなかった。前半にあったなにげない強烈なリアリティが後半ではあるにはあるけれど主人公が意中の相手との再会にとらわれすぎているせいか弱まっていて、デシカメやテレビなどの視点を拝借して空間や時間を語るのを繰り返すばかりで、面白かったけれど、もったいない。面白かったけれど。そしてたぶん読んだ人なら分かるだろうが、今ここに書いている文章は「寝ても覚めても」の文章に多少なりとも影響されている。影響されやすいんです、僕。




通路をカランカランと音を立てながら缶コーヒーが転がっていった。もう品川だ。やっぱり新幹線は速いなあ。



次に帰省するのはたぶん来年の冬ころになるだろうと、はやくも期待に近い予感がしている。そのころには、今書いている小説がちゃんとした形で完成していればと、こちらは期待ばかりが先行している。



では、また東京で。